15下司廃寺(げしはいじ)

下司廃寺について

もともと下司という言葉は、中世の荘園制度に見られる荘官の呼び名であり、上司に対する言葉として呼ばれたものですが、後には「役所のこと」として使用されました。

この東植田の下司には、中の丁、東の丁、西の丁があってその道は一つの条をなし、四方に水利を引いて京都の一条、二条の形を取っていました。ここに役所があったようです。

昭和38年道路工事の際、ここから出土した軒丸瓦(復葉蓮華紋)は蓮9個、八葉複弁蓮華紋で周囲に波紋がありました。他に布目瓦も出土しているので奈良期白鳳時代の古い寺とわかります。

 

  

下司廃寺跡の標識

 

出土した奈良期白鳳時代の軒丸瓦

 

現地投稿写真