31二十四輩(にじゅうよはい)

二十四輩(にじゅうよはい)について

前述したように、親鸞聖人の有力な二十四人の弟子が創建した寺です。この二十四人の制定には諸説あり、二十四輩選定の当初は一人一ヶ寺に定めましたが、子孫の分裂、戦火による焼失、再建などより二十四輩寺院が諸国に分散し、二十四輩とする寺院が百ヶ寺以上もありました。

しかし、現在では「二十四輩会」が成立して厳密に選別して、関東地方を中心として二十四ヶ寺が定められています。

この城地域にも、当初は24ヶ寺あったと思われますが分散しており21ヶ寺は確認できます、残りのうち1ヶ寺は高様の鍵面池の近くに、2ヶ寺は田中の朝倉地区にあります。

何故当地にできたかはよくわかりませんが、明治時代の初期頃(1868年)に二十四輩信仰が全国的に流行し、古城もあり風光明媚(ふうこうめいび)なこの地が選ばれたのでしょう。

 

  

十八ヶ寺が並んで建てられている

 

標識に「城の二十四輩」と書いている

 

現地投稿写真